2003年06月

2003年6月15日
ファイダーニュースNo.41
カンボジア 文具寄贈活動 ~”引き出しの肥やし”が生き返った~

カンボジア文房具寄贈活動
「引き出しの肥やし"が生き返った」
株式会社カスタネット 代表取締役社長 植木 力
 
 当社が中古文房具の寄贈活動をはじめたきっかけは、二年半前、大阪の異業種交流会で偶然知り合ったアプサラ基金会代表幹事:佐藤敦子氏との出会いでした。その場でカンボジアの状況や子どもたちのことを熱心に話されている姿に感銘を受けました。
 その話の中で現地では文房具が不足していることを知り、オフィス用品販売会社(文房具も販売)である当社は、少しでも協力出来ると思い昨年の3月から取引先などの訪問時に中古文房具を回収する活動に入りました。そして寄せられた文房具をこの2月にカンボジア向けに発送しました。
発送準備にあたり、色々と考えさせられました。
「子どもたちまでちゃんと届くだろうか?」「日本人として、余っている文房具を送付することが正しいのだろうか?」「子どもたちはもらった文房具の違いから喧嘩はしないだろうか?」「現地の文房具屋さんの商売に影響しないだろうか?」
 その様な不安を抱きながら、3月にFIDR現地事務所の小山所長らの案内で小学校を訪問致しました。
実際、現地に足を運ぶことでその不安はなくなりました。
それは、事前に人数を確認し、えんぴつ、消しゴム、ノートの新品セットを用意したからかもしれませんが、それ以上にものが溢れている日本と比べ、カンボジアにはものが少ないという大きな違いを目の当たりにしたからだと思います。
 カラフルで凝ったデザインの文房具を次々と買うことのできる日本の子どもたちとは対照的に、カンボジアでは簡素な文房具しかないということを知りました。また、子どもの中には家庭の事情で学校に行けずに働かなければならない子もいるということも知りました。
 このような子どもたちが、今回贈ったようなまだ十分に使える文房具が日本の家庭でたくさん余っていることを知ったらどう思うだろうか。それを想像すると、私は胸の痛みを感じずにはいられませんでした。
訪問した学校では、子どもたちにたいへん喜んで頂きました。国が違っていても子どもが喜ぶ物、喜ぶ笑顔は皆同じでした。現地を見た今、私は子どもたちのキラキラと輝いている目を曇らさないため同じ地球人として支援活動を続けていこうと思っています。

当社では、レーザープリンターの使用済みトナーカートリッジを回収し、その収益を文房具を送付する送料に充てています。この収益で文房具を送り続けながら更に学校建設にも活動を広げたいと思っております。全国の皆様からのご支援をお願い申し上げます。
 
当社へのお問い合わせは
株式会社カスタネット
TEL 075(681)9100
E-mail info@castanet.co.jp

(株)カスタネットの植木です。

今回は、大日本スクリーン製造(株)の社内審査をクリアする奮闘記をお伝えします。


▼ その閃きは、風呂に入っている時にやってきた。

大日本スクリーン製造(株)での仕事は、営業部門の業務(売掛債権の管理)をしながらプロジェクトリーダーとして全世界の売上予定~入金管理までの販売管理ネットワークシステムを構築する仕事をしていました。

全世界の在庫状況の確認や工場から届く出荷データで自動売上などの省力化を図り、当時の社内では画期的なシステムでした。お金も数億円使わせて頂きましたが…。

約10年のプロジェクトも終了し、開発管理部門に異動していたある日、出入りの文房具屋さんが「新しく在庫センターが出来たがシステム障害で文房具の納期で困っている…」

その時は「遅れた業界だな~今頃在庫センターなんて…。企業と企業がデータ交換して在庫を持たない方向なのに…」と思っていました。

それから半年後のある日の夜。いつもなら、カラスの行水の様に短時間で入る風呂に、その日に限ってゆっくりと入っていました。少し前に出来た、社内ベンチャー制度のことを思っていると…。

『そうだ! 文房具屋さんには、顧客から受注データを受け取り、在庫センターに発注出来るところはないはずだ!』『今までのコンピューターを活用した業務処理ノウハウ。オフィス用品の販売に利用出来る!』

その瞬間、事業の神様が見えた気がしましたね。


▼ ベンチャー制度の審査が通らない

社内ベンチャー制度が出来ても「文房具屋で飯を食う企画」が出るとは誰れも思っていなかった様で、何回審査しても“保留”…。

それもそのはず、装置メーカーの会社ですから何千万、何億との取引が多く、円単位の商品で事業にすると言っても分かるわけはないですね。

更に、プラスの子会社のビズネット(アスクルもプラスの子会社)が大日本スクリーン製造(株)に提案してきたものが、苦労して作成した企画書とほぼ同じ内容。情報が漏れたかと思うほど構成まで同じでした。

しかし、良く考えると「買う立場から物を見て、それをシステム化」すると同じものになる事に気がつきました。どちらにせよ、ベンチャーとしての新規性がなくなり、審査も窮地にたたされました。


▼ 新たな閃きが、特許出願に

もうこれで駄目かと思いましたが、ここで引き下がることは出来ない!
その日から、何かしかの新規性を考え始めました。一日、何をする時も頭の中は新規性の事業を探すことで一杯でした。

寝るのも惜しんで、考えましたね。
すると数週間後…。最初の風呂と同じ様な感触があって…。
そのアイデアを“ビジネスモデルの特許出願”することが出来ました。


▼ 最終審査は根回し

特許も出願した、これで審査が保留になればもう後がない!
今から思えばとんでもない行動に出ました。それは、審査員は役員でしたので、役員室廻りを始めたのです。

『ここまで準備したので審査を通してほしい。会社を辞めて創業してもリスクは全て私にある。』

最終審査では誰からも反対もなく、保留になりそうな質問もなく、社長をはじめ審査員からは温かいお言葉を頂き、合格したのです。
それは最初に提案してから一年後でした。


▼ ほんとに会社を辞めるの?

多くの方々にご心配をかけました。

家庭があって、子供にお金がいる年代、そして家のローンも有るのにそんな冒険をしなくてもと…。

人事制度が変わり管理職(課長)に昇格するには試験制度が生まれ、その試験に合格して課長になっていたから余計心配かけたと思います。
年俸も数百万円増えていましたし…。

家族は、言い出したら聞かないとわかっていたのか、審査に通らないと思っていたのかはわかりませんが、一年間反対はありませんでした。
ただ、最終審査の朝家族に今日審査が通ると辞表を出して来ると言ったところ、

『お父さん、ほんとに会社を辞めるの…』

一年間も家族に心配をかけていたことに気がつきました。

『そのうち、大豪邸に住んでやると思ったのですが…。まだ、ローンが残っている家です…。』


▼ その時のお金は?

ベンチャー制度であっても、通常退職金でした。車のローンを先に相殺され、退職金が振り込まれる日にそのまま資本金に。

残ったお金は、約20万円。
家のローンの残高は2500万円

退職から3ヵ月後、45歳以上希望退職制度。約2年分の割り増し。
当時、42歳。悔しい思いはありませんでした。

退職から1年3ヵ月後、40歳以上希望退職制度。同じく約2年分の割り増し。
少し、悔しかった! 事業も一番苦しい時期でしたし…。

次回は、安く販売出来ているその理由を少しお話しします。

Written by 植木 力株式会社カスタネット 代表取締役)


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