2007年04月05日(木)
第113回 社会企業家の父から教わったもの(2007.04.05)
(株)カスタネット、植木です。
起業に適した人、そうでない人の事を考えることがある。
決して自分自身が起業に適しているとは言えないが、インターンシップで受入れた学生、起業人、起業を考えている人など多くの人と接していると、一つの法則が見えてきます。
『起業=商売とは、頭で行うのではなく体が重要である』頭が不要と言わないが、知識だけでは商売は出来ないのである。 ビジネスモデルがどんなに素晴らしいものであっても机上だけのビジネスモデルでは事業は失敗すると言っても過言ではない。
これは、誰もが理解する内容だと思います。
。
問題なのは、ここからで。。。「体が重要」と書いたが、その体の中身に問題があるのである。その中身は、一夜にして出来るものではなく長い年月の結果ではないかと思う。木の年輪のように北側の厳しい環境で成長したものと南側の優しい環境での成長では変わるように、ビジネスの基本も同じではないか。
公務員の家庭、サラリーマンの家庭、商売人の家庭。。。知らないうちに、それぞれの特色が体に染み込んでいるのである。
商売人の家庭で育つと、物心ついた頃から親が金銭帳簿をつけている所や、いやな客にも頭を下げるところを見たり、景気の浮き沈み、景気が悪く苦労している空気などを感じて育っていると思います。
その結果、商売に適した人=公務員の家庭<サラリーマンの家庭<商売人の家庭 こんな法則が成り立つのではないかと思う。
▼私は商売人の家庭に育った。
父は岡山県の田舎育ち、祖父は大工の棟梁。母の実家である京都府宮津市で母と出会い結婚した。棟梁の息子であったため手先は器用で、本業のボーリング(=井戸掘り)だけではなく、家を建てたり、コンクリート工事なども。。
私は、休みになれば、ボーリング現場の資材運び、家の解体や建築、水道管工事などの手伝いをしていた。
そんな昭和40年代。同級生の家は、日曜日になれば家族旅行をしたり、ボーナスが出たと噂話しを聞くとサラリーマンの家庭に育ちたいと幾度となく思ったことか。
亡き母も、口癖のように言っていた「就職は、大きな会社か公務員に」高校を卒業して航空自衛隊に入ったときに一番喜んだのは母であったと思う。
それは、私が好きな道でもあり、公務員(自衛隊は国家公務員特別職)を選んだからであると思う。
現在は、亡き母の意志に反し、公務員を辞め、大企業を辞め、商売をしている。母が生きていたら心配をかける親不幸者だったにちがいない。
▼商売の厳しさを知る
□ある日、父が怒って帰ってきた。企業からの仕事を請け負い、集金に行ったら“手形”を渡されたとの事だった。代金決済の手段として、“手形”の存在を知るとともに、仕事を行う前に何故支払い条件を決めなかったのか、子供心に思い、今でも強く脳裏に残っている。
□ボーリングの地質調査なら問題ないのだが、井戸掘りは運も必要であった。水は出ても鉄分を含んだ水質では飲料に適さないため、お金はもらえない。別の場所を掘るか、地下深く、掘りなおすしかないのである。
水が出た瞬間、泥が混じっている水を口に入れ、鉄分が含まれているか確認する光景は強烈なものがあった。(少しの時間、水を出せばきれいな水になるのだが待てないのである)
まさに、これが商売は水ものと言える。
□水と言えば、形が違うが雨と雪がある。
丹後地方は裏日本特有の気候で「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるほど、時雨や雪が多いところである。
今でこそ、暖冬の影響で雪が積もるのは少なくなったが、一晩で50cmも積雪があった。 つまり、冬場は働ける日数が少なかったのである。冬は冬眠状態であった。
両親は冗談半分で、太平洋側に移住したいと話していました。
稼動日数の重要性を、子供ながらに感じていました。
□一時期、住込みで働いている従業員がいました。前記の天候、儲けに関係なく給料を払わなくてはならない大変さを目の当りにしました。
両親は「人件費ほど高いものはない」とぼやいていました。
□帳簿付けや見積計算をしているところを見て、諸経費と工具などの設備費を儲けから差し引くものが多くて驚いたのである。
10万円の入金があれば全て利益と思っていた私は、諸経費を計算に入れなければならない重要性を認識させられたのである。
□父親の性格なのか、他社の金額は高すぎると言って安い金額で見積りを提出していた。
どうしても取りたい仕事だったのかもしれないが、その真意はわからない。
しかし、私も事業を行うと、利益より売上優先の場面もあることを知り、昔のあの場面を重ね合わせるときがあります。
▼僕の家には貧乏神がいる
当時ボランティアと言う言葉がない頃、村内で生活に困っている人、会社が倒産した人、借金で夜逃げ同然の人などが何故か私の家に集まってきた。
ご飯を食べさせ、相談に乗り、住まいや仕事の紹介など幾度となく、人助けを行っていた。
さすがにお金は渡していなかったが「人助けを行うのではなく、受ける方ではないか」と思っていたのである。
この状態に見かねた私は、両親に「僕の家には貧乏神がいる」と言った記憶がある。
あの貧乏神さん。もしかして、私のところに住みついているのかもしれないなあ~。
創業直後から行っていた社会貢献活動で「ボランティアを行うのではなく受ける方ではないか」と同じことを言われました。
いつの間にか、両親と同じことを行っている自分を見た瞬間でもある。
▼社会企業家の祖母の影響
母方の祖母は、日本で女性初の社会企業家だったと言える。
当時は、京都、大阪方面から海水浴などの保養所的な村でしたので、旅館組合と協同で温泉掘りを行い、余ったお湯で老人たちが集まれる場所を作ろうとしていた。
社会のため、地元のため、活動した祖母であった。
それも、女性の地位が高くなかった昭和20年代後半の話しである。
祖母の影響を受けた両親だから、人助けを行っていたのかもしれない。
当時は、両親だけではなく日本中で同じようなことがあったのかもしれない。現代において社会企業家という言葉が生まれたのは、両親の世代から私達の世代に伝え忘れがあったからではないかと思います。
母の言葉を忘れることは出来ない「人や社会にやさしく、皆に感謝を」
当時は何のことかさっぱり分からなかったが、この年になってくると母が言いたかったことが見えてくる。
見えてきたと母に伝えたいところであるが、もう20年前に他界してしまった。
▼二つの頼み
高度成長時代、オイルショック、バブルなど日本が大きく変わり、厳しい経営環境を乗り越えてきた父。
手先が器用でアイデアを生み出すのが得意であった父。
そんな父も先日、母のところに旅立ってしまった。
急な旅立ちだったが、その直前に高校を卒業してから初めてと言っても過言ではない、二つの頼みをした。
□一つは、カスタ君の町家の開放イベントで使用する“餅”の用意である。
カスタ君の町家用に購入したちゃぶ台+七輪。祝い事でもあり餅を用意することにしたが、市販の餅では美味しくないと思い父に頼んだ。
量が多かったので丸1日もかかったとのこと。
しかし、開放イベントで好評だったことを伝えると大変喜んでくれました。
□二つは、カスタ君の町家に時計がなく実家にあることを思い出し、久し振りに帰省しました。昼ご飯を食べながら、会社や町家の話しなど創業以来ゆっくりと時間を過ごすことができました。
父が最初に持ってきた振り子時計は電池式だったので断り、ゼンマイ式は無いのかと聞いた。
すると、どこからとなくゼンマイ式の振り子時計を持ってきた。
父は「一番の宝物」と言ったが、どうしてもほしいと半ば強引にもらった。形見の品となってしまった。
今から思えば、虫の知らせかもしれないが、あの時に親に甘えて良かったと思う。
もし、頼みもせず、帰省もしなかったら今頃悔やんでいたにちがいないと思います。
▼親孝行をしていた。
葬儀が終わり近所の人から話しを聞きました。
私がテレビや新聞に出ているのを村人が見つけ、噂になっていました。
約500戸の小さい村で、こんな話題は少なく一気に広がっていて、父は誇らしげにしていたらしい。
最初で最後の親孝行を行ったと知った瞬間でした。。。
▼葬儀の帰り
立ち寄ったドライブインで「千の風になって」の音楽が流れていました。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
あの大きな空を
吹きわたっています
■決して裕福と言えない家庭に育ち、仕事の手伝いをし、人助けを行っている後ろ姿を見ているうちに、お金には替えられないものを教えてもらったと思います。
今頃父は、天国で母に私のことを話しているにちがいないと思います。
父がお世話になった方々に御礼申し上げます。有難うございました。
Written by 植木 力 (株式会社カスタネット 代表取締役)
起業に適した人、そうでない人の事を考えることがある。
決して自分自身が起業に適しているとは言えないが、インターンシップで受入れた学生、起業人、起業を考えている人など多くの人と接していると、一つの法則が見えてきます。
『起業=商売とは、頭で行うのではなく体が重要である』頭が不要と言わないが、知識だけでは商売は出来ないのである。 ビジネスモデルがどんなに素晴らしいものであっても机上だけのビジネスモデルでは事業は失敗すると言っても過言ではない。
これは、誰もが理解する内容だと思います。
。
問題なのは、ここからで。。。「体が重要」と書いたが、その体の中身に問題があるのである。その中身は、一夜にして出来るものではなく長い年月の結果ではないかと思う。木の年輪のように北側の厳しい環境で成長したものと南側の優しい環境での成長では変わるように、ビジネスの基本も同じではないか。
公務員の家庭、サラリーマンの家庭、商売人の家庭。。。知らないうちに、それぞれの特色が体に染み込んでいるのである。
商売人の家庭で育つと、物心ついた頃から親が金銭帳簿をつけている所や、いやな客にも頭を下げるところを見たり、景気の浮き沈み、景気が悪く苦労している空気などを感じて育っていると思います。
その結果、商売に適した人=公務員の家庭<サラリーマンの家庭<商売人の家庭 こんな法則が成り立つのではないかと思う。
▼私は商売人の家庭に育った。
父は岡山県の田舎育ち、祖父は大工の棟梁。母の実家である京都府宮津市で母と出会い結婚した。棟梁の息子であったため手先は器用で、本業のボーリング(=井戸掘り)だけではなく、家を建てたり、コンクリート工事なども。。
私は、休みになれば、ボーリング現場の資材運び、家の解体や建築、水道管工事などの手伝いをしていた。
そんな昭和40年代。同級生の家は、日曜日になれば家族旅行をしたり、ボーナスが出たと噂話しを聞くとサラリーマンの家庭に育ちたいと幾度となく思ったことか。
亡き母も、口癖のように言っていた「就職は、大きな会社か公務員に」高校を卒業して航空自衛隊に入ったときに一番喜んだのは母であったと思う。
それは、私が好きな道でもあり、公務員(自衛隊は国家公務員特別職)を選んだからであると思う。
現在は、亡き母の意志に反し、公務員を辞め、大企業を辞め、商売をしている。母が生きていたら心配をかける親不幸者だったにちがいない。
▼商売の厳しさを知る
□ある日、父が怒って帰ってきた。企業からの仕事を請け負い、集金に行ったら“手形”を渡されたとの事だった。代金決済の手段として、“手形”の存在を知るとともに、仕事を行う前に何故支払い条件を決めなかったのか、子供心に思い、今でも強く脳裏に残っている。
□ボーリングの地質調査なら問題ないのだが、井戸掘りは運も必要であった。水は出ても鉄分を含んだ水質では飲料に適さないため、お金はもらえない。別の場所を掘るか、地下深く、掘りなおすしかないのである。
水が出た瞬間、泥が混じっている水を口に入れ、鉄分が含まれているか確認する光景は強烈なものがあった。(少しの時間、水を出せばきれいな水になるのだが待てないのである)
まさに、これが商売は水ものと言える。
□水と言えば、形が違うが雨と雪がある。
丹後地方は裏日本特有の気候で「弁当忘れても傘忘れるな」と言われるほど、時雨や雪が多いところである。
今でこそ、暖冬の影響で雪が積もるのは少なくなったが、一晩で50cmも積雪があった。 つまり、冬場は働ける日数が少なかったのである。冬は冬眠状態であった。
両親は冗談半分で、太平洋側に移住したいと話していました。
稼動日数の重要性を、子供ながらに感じていました。
□一時期、住込みで働いている従業員がいました。前記の天候、儲けに関係なく給料を払わなくてはならない大変さを目の当りにしました。
両親は「人件費ほど高いものはない」とぼやいていました。
□帳簿付けや見積計算をしているところを見て、諸経費と工具などの設備費を儲けから差し引くものが多くて驚いたのである。
10万円の入金があれば全て利益と思っていた私は、諸経費を計算に入れなければならない重要性を認識させられたのである。
□父親の性格なのか、他社の金額は高すぎると言って安い金額で見積りを提出していた。
どうしても取りたい仕事だったのかもしれないが、その真意はわからない。
しかし、私も事業を行うと、利益より売上優先の場面もあることを知り、昔のあの場面を重ね合わせるときがあります。
▼僕の家には貧乏神がいる
当時ボランティアと言う言葉がない頃、村内で生活に困っている人、会社が倒産した人、借金で夜逃げ同然の人などが何故か私の家に集まってきた。
ご飯を食べさせ、相談に乗り、住まいや仕事の紹介など幾度となく、人助けを行っていた。
さすがにお金は渡していなかったが「人助けを行うのではなく、受ける方ではないか」と思っていたのである。
この状態に見かねた私は、両親に「僕の家には貧乏神がいる」と言った記憶がある。
あの貧乏神さん。もしかして、私のところに住みついているのかもしれないなあ~。
創業直後から行っていた社会貢献活動で「ボランティアを行うのではなく受ける方ではないか」と同じことを言われました。
いつの間にか、両親と同じことを行っている自分を見た瞬間でもある。
▼社会企業家の祖母の影響
母方の祖母は、日本で女性初の社会企業家だったと言える。
当時は、京都、大阪方面から海水浴などの保養所的な村でしたので、旅館組合と協同で温泉掘りを行い、余ったお湯で老人たちが集まれる場所を作ろうとしていた。
社会のため、地元のため、活動した祖母であった。
それも、女性の地位が高くなかった昭和20年代後半の話しである。
祖母の影響を受けた両親だから、人助けを行っていたのかもしれない。
当時は、両親だけではなく日本中で同じようなことがあったのかもしれない。現代において社会企業家という言葉が生まれたのは、両親の世代から私達の世代に伝え忘れがあったからではないかと思います。
母の言葉を忘れることは出来ない「人や社会にやさしく、皆に感謝を」
当時は何のことかさっぱり分からなかったが、この年になってくると母が言いたかったことが見えてくる。
見えてきたと母に伝えたいところであるが、もう20年前に他界してしまった。
▼二つの頼み
高度成長時代、オイルショック、バブルなど日本が大きく変わり、厳しい経営環境を乗り越えてきた父。
手先が器用でアイデアを生み出すのが得意であった父。
そんな父も先日、母のところに旅立ってしまった。
急な旅立ちだったが、その直前に高校を卒業してから初めてと言っても過言ではない、二つの頼みをした。
□一つは、カスタ君の町家の開放イベントで使用する“餅”の用意である。
カスタ君の町家用に購入したちゃぶ台+七輪。祝い事でもあり餅を用意することにしたが、市販の餅では美味しくないと思い父に頼んだ。
量が多かったので丸1日もかかったとのこと。
しかし、開放イベントで好評だったことを伝えると大変喜んでくれました。
□二つは、カスタ君の町家に時計がなく実家にあることを思い出し、久し振りに帰省しました。昼ご飯を食べながら、会社や町家の話しなど創業以来ゆっくりと時間を過ごすことができました。
父が最初に持ってきた振り子時計は電池式だったので断り、ゼンマイ式は無いのかと聞いた。
すると、どこからとなくゼンマイ式の振り子時計を持ってきた。
父は「一番の宝物」と言ったが、どうしてもほしいと半ば強引にもらった。形見の品となってしまった。
今から思えば、虫の知らせかもしれないが、あの時に親に甘えて良かったと思う。
もし、頼みもせず、帰省もしなかったら今頃悔やんでいたにちがいないと思います。
▼親孝行をしていた。
葬儀が終わり近所の人から話しを聞きました。
私がテレビや新聞に出ているのを村人が見つけ、噂になっていました。
約500戸の小さい村で、こんな話題は少なく一気に広がっていて、父は誇らしげにしていたらしい。
最初で最後の親孝行を行ったと知った瞬間でした。。。
▼葬儀の帰り
立ち寄ったドライブインで「千の風になって」の音楽が流れていました。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
あの大きな空を
吹きわたっています
■決して裕福と言えない家庭に育ち、仕事の手伝いをし、人助けを行っている後ろ姿を見ているうちに、お金には替えられないものを教えてもらったと思います。
今頃父は、天国で母に私のことを話しているにちがいないと思います。
父がお世話になった方々に御礼申し上げます。有難うございました。
Written by 植木 力 (株式会社カスタネット 代表取締役)

リンク元(referer)
コメント


?.. .jpg)




