2006年11月13日(月)
第108回 峰山高校PTAから原稿依頼(2006.11.13)
(株)カスタネット、植木です。
私は、京都府の北の北、丹後半島の中央にある峰山町(現、京丹後市)の京都府立峰山高校を卒業しました。峰山高校と言えば、あの野村監督が先輩にあたります。
先日、峰山高校PTAから会報に掲載する原稿の依頼が入りました。詳細を確認すると、100%思い出話し・800文字。
卒業から30年、ひと昔前の思い出話しを決められた文字で書くのは難しいでした。
一気に書き始めると、これも、あれも。。。当時のことがよみがえり、半分ほど書いた時点で文字数がオーバーしてしまいました。
偶然、中学校までの同級性に、原稿書のことを話すと「そう言えば、どうして峰山高校に行ったの・・」の質問でした。
高校時代の過去、友人などに殆ど話していなかったなあ~。
▼提出した原稿をお読み下さい。
私にとって峰山は第二のふるさとである。
宮津市の丹後由良で育ち、親戚も知り合いもいない町、峰山高校をあえて選び、
その結果、私を大きく成長させて頂いたからです。
大げさかもしれませんが、気持ちは秘境の地に進学と言っても過言では
ありませんでした。
当時を振り返るとおかしな生徒だったかもしれません。
誰も知らない高校で、他生徒とは違う道を歩み、ゼロから挑戦したい気持ちが
あったからです。
入学時の目標は、片道2時間近く(帰りの列車に乗り遅れて駅で2時間待つ事も)
を休まず通学すること。友人をつくること。生徒会長に立候補すること。でした。
入学して、まず驚いたのが言葉の壁で、丹後弁には戸惑いを覚えました。
不安を抱いている私に、同じ方向に帰る上級生、バレーボール部の先輩などが
優しく声を掛けて頂いたのが、今でも脳裏に残っています。
二年生の秋には、目標通り生徒会長に立候補しました。友人たちは、立候補
するのは冗談と思っていたらしく、驚いていました。生徒会の活動では
「喫煙防止旬間」のイベントを企画し、新聞に掲載された時はPTAなど
大騒ぎでした。
それもそのはず、高校生が喫煙防止とは。。。
生徒会長として、何度も全校一斉の生徒集会を召集し、授業が止まりました。
学校祭では、全校が盛り上がり皆が一丸になれた瞬間でしたが、盛り上がり
過ぎて、打ち上げで飲酒が問題になった年でした。色々な事が起きましたが、
峰山高校の風土なのか、生徒会に任せて頂いた、自由な学校だったと思います。
その活動を他校から視察まで来るようになり、京都北部では有名になっていました。
当時、三無主義(無気力・無関心・無責任)と言われる時代に、私にとって、
有意義な高校生活を過ごすことが出来たと思います。
友人も多く出来、峰山での経験全てが、今の私の骨格になっていると言っても
過言ではありません。
第二のふるさと峰山、あの丹後弁が懐かしく思う、今日この頃です。
▼あの時の苦労が、今になって
800文字で書き切れない、裏話しもあるのですが。。。
その裏話し・苦労話しが私にとって、人生の肥えになったのではないかと思います。
人生の若いうちのどこかで、苦労することが、大きな自信となり成長するのではないでしょうか。
原稿を書きながら思いました。
『成績は最低点、人生勉強は最高点、それが一番の幸せ。。。植木語録』
Written by 植木 力 (株式会社カスタネット 代表取締役)
私は、京都府の北の北、丹後半島の中央にある峰山町(現、京丹後市)の京都府立峰山高校を卒業しました。峰山高校と言えば、あの野村監督が先輩にあたります。
先日、峰山高校PTAから会報に掲載する原稿の依頼が入りました。詳細を確認すると、100%思い出話し・800文字。
卒業から30年、ひと昔前の思い出話しを決められた文字で書くのは難しいでした。
一気に書き始めると、これも、あれも。。。当時のことがよみがえり、半分ほど書いた時点で文字数がオーバーしてしまいました。
偶然、中学校までの同級性に、原稿書のことを話すと「そう言えば、どうして峰山高校に行ったの・・」の質問でした。
高校時代の過去、友人などに殆ど話していなかったなあ~。
▼提出した原稿をお読み下さい。
私にとって峰山は第二のふるさとである。
宮津市の丹後由良で育ち、親戚も知り合いもいない町、峰山高校をあえて選び、
その結果、私を大きく成長させて頂いたからです。
大げさかもしれませんが、気持ちは秘境の地に進学と言っても過言では
ありませんでした。
当時を振り返るとおかしな生徒だったかもしれません。
誰も知らない高校で、他生徒とは違う道を歩み、ゼロから挑戦したい気持ちが
あったからです。
入学時の目標は、片道2時間近く(帰りの列車に乗り遅れて駅で2時間待つ事も)
を休まず通学すること。友人をつくること。生徒会長に立候補すること。でした。
入学して、まず驚いたのが言葉の壁で、丹後弁には戸惑いを覚えました。
不安を抱いている私に、同じ方向に帰る上級生、バレーボール部の先輩などが
優しく声を掛けて頂いたのが、今でも脳裏に残っています。
二年生の秋には、目標通り生徒会長に立候補しました。友人たちは、立候補
するのは冗談と思っていたらしく、驚いていました。生徒会の活動では
「喫煙防止旬間」のイベントを企画し、新聞に掲載された時はPTAなど
大騒ぎでした。
それもそのはず、高校生が喫煙防止とは。。。
生徒会長として、何度も全校一斉の生徒集会を召集し、授業が止まりました。
学校祭では、全校が盛り上がり皆が一丸になれた瞬間でしたが、盛り上がり
過ぎて、打ち上げで飲酒が問題になった年でした。色々な事が起きましたが、
峰山高校の風土なのか、生徒会に任せて頂いた、自由な学校だったと思います。
その活動を他校から視察まで来るようになり、京都北部では有名になっていました。
当時、三無主義(無気力・無関心・無責任)と言われる時代に、私にとって、
有意義な高校生活を過ごすことが出来たと思います。
友人も多く出来、峰山での経験全てが、今の私の骨格になっていると言っても
過言ではありません。
第二のふるさと峰山、あの丹後弁が懐かしく思う、今日この頃です。
▼あの時の苦労が、今になって
800文字で書き切れない、裏話しもあるのですが。。。
その裏話し・苦労話しが私にとって、人生の肥えになったのではないかと思います。
人生の若いうちのどこかで、苦労することが、大きな自信となり成長するのではないでしょうか。
原稿を書きながら思いました。
『成績は最低点、人生勉強は最高点、それが一番の幸せ。。。植木語録』
Written by 植木 力 (株式会社カスタネット 代表取締役)

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頑張ってください
生きていれば必ずいいことがあると思います。
だから死なないでがんばって下さい。
ちょっと応援しています。
ちょっとね。ちょっと。
ま、ちょっとって言っても
米粒1つに満たないと思いますけど。
ていうか君誰?